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ミハイル・ヴルーベリ

2023.07.30 ピックアップアーティスト

芸術は単なる目的地ではなく、人間の本質と尽きることのない創造性への深淵な冒険です。多様な芸術家たちは、終わりなき探求に自身の芸術的な才能で何を伝えようとしたのでしょうか。

このピックアップアーティストでは、さまざまな芸術家の生涯と作品に深く迫り、彼らが後世に残した貢献と遺産を明らかにしたいと思います。

ミハイル・ヴルーベリ

今回は、19世紀から20世紀にかけて、装飾や舞台美術も含め様々なジャンルで活躍したロシアの画家、ミハイル・ヴルーベリをピックアップします。

ヴルーベリとその時代

ヴルーベリが活躍した時代は、ロシアでは社会的・政治的・文化的に大きな変革が起こっていました。農奴解放令やロシア革命の動き、西欧からの影響や民族主義の高まりなどがありました。芸術界では、伝統的な写実主義や古典主義に対抗する新しい流派が現れました。象徴主義や印象派、表現主義やアールヌーヴォーなどです。ヴルーベリはこれらの流派に属さず、独自のスタイルとテーマで画壇に挑戦しました。

ヴルーベリの生い立ち

ミハイル・ヴルーベリ
ミハイル・ヴルーベリ

ミハイル・ヴルーベリは1856年にロシア帝国のオムスクで法律家の家庭に生まれました。10歳までに、絵を描いたり、演劇や音楽の練習を通して芸術的才能を発揮しました。彼はサンクトペテルブルク大学法科を卒業した後、帝室美術アカデミーに入り、パーヴェル・チスチャコフの下で学びました。初期の作品で既に非凡な絵画の才能を示していましたが、彼は常に新しいものを生み出すことを優先し、多くの作品を失われてしまいました。

キエフ時代

1884年にキエフの聖キリル教会の壁画制作を依頼されたことが、彼の画業に大きな影響を与えました。この仕事のためにヴェネツィアに行き、中世キリスト教美術を研究しました。ここで彼は「宝石のごとくきらびやかで豊かな」といわれる色調を獲得しました。彼は聖キリル教会で『12使徒のもとへの聖霊降臨』や『聖母子像』などを描きましたが、これらは美術収集家パーヴェル・トレチャコフが高く評価しました。

1886年にはキエフに帰り、新しく造られた聖ヴラジーミル聖堂のためにデザインを提出しましたが、彼の作品の新しさは評価されず拒絶されました。この時期彼はハムレットやアンナ・カレーニナを題材として、後のデーモンや預言者を主題とする暗い色調とは大いに異なる豊かな色調による作品を手がけました。キエフ時代にはミハイル・レールモントフのロマン的な長編詩「デーモン(悪魔)」を主題とするスケッチと水彩画の制作を開始し、彼のライフワークにつながっていきました。この時期ヴルーベリはオリエントの美術、特にペルシャ絨毯に強い関心を抱き、絵画の中でそのテクスチャーを真似る試みまでしていました。

モスクワ時代

1890年にモスクワに移り、さらに新しい美術の流れに取り組むことになりました。アールヌーヴォーに加わった他の芸術家と同じように彼は絵画のみならず陶芸やステンドグラスにも才能を示しました。さらには舞台セットや衣裳の制作にも携わりました。彼に名声をもたらしたのは大作『座るデーモン』でした。多くの保守的な批評家は彼の作品を醜いと非難しました。しかし美術パトロンのマモントフはデーモンシリーズを称賛し、彼の私設オペラ劇場と友人たちの邸宅の装飾美術を依頼しました。

1896年に有名なオペラ歌手ナジェージダ・ザベラと愛し合い、半年後に結婚してモスクワに住みました。ここで彼女はマモントフの劇場への出演を依頼され、ヴルーベリは舞台セットと妻の衣裳のデザインを担当しました。妻がリムスキー=コルサコフのオペラを演じる姿を描いた作品も残されています。ロシアのおとぎ話にちなむ『パン』、『白鳥の王女』や『ライラック』(1900)も描き称賛されました。

座るデーモン

座るデーモン

1890年 トレチャコフ美術館

ヴルーベリがモスクワに移った後に制作したもので、彼の代表作の一つです。レールモントフの詩「デーモン」に登場する悪魔を描いていますが、彼はその詩の内容にとらわれず、自分の想像力でデーモンの姿を創造しました。デーモンは暗い背景に浮かび上がるように描かれており、その顔は苦悩と高慢と嘲笑とを表しています。彼はこの作品で名声を得ましたが、多くの批評家からは醜いと非難されました。彼はこの作品を何度も描き直し、その都度デーモンの表情を変えていきました。

パン

パン

1899年 トレチャコフ美術館

神話を題材に描かれたこの作品は、ロシアの森の精霊である「レーシイ」を描いていると言われています。男の体は切り株から生えているように見え、髪や指は捻じ曲がり、木の節のように見えます。雷が男を照らし、淡い月がこの雰囲気をさらに高めます。男の目は「人物の精神的生活」を語り、鑑賞者をまっすぐに見つめているようです。男のの青い目は、彼の背後にある沼の水面を映しています。自然の豊かさと鮮やかさを人体の描写によって視覚化しています。

白鳥の王女

白鳥の王女

1899-1900年 トレチャコフ美術館

この作品は、ロシアのおとぎ話「白鳥姫」に登場する白鳥の王女を描いています。白鳥の王女は、夜になると人間の姿になり、昼になると白鳥に戻るという設定です。ヴルーベリはこの作品で、白鳥の王女の美しさと神秘性を表現しました。彼は白鳥の羽や水面の波紋を細かく描き込み、その上に金色や青色などの色彩を重ねました。彼はこの作品でアールヌーヴォーの傑作として称賛されました

精神の危機

1901年、大作『打ち倒されたデーモン』で再びデーモンの主題に戻りました。精神的なメッセージで公衆を驚かすため、発表後にもデーモンの顔を繰り返し描き直しました。しかしついには精神的発作を起こし精神科に入院することになりましたが、彼はそこで『真珠の貝殻』とプーシキンの詩「預言者」を主題にした連作を描きました。

その後、入退院を繰り返しますが、精神的健康は改善されませんでした。さらに不幸は続き、息子も死去してしまいます。ヴルーベリは重度のうつ病に陥り、リウマチに苦しみ、車椅子での生活を余儀なくされました。
しかし、妻ナジェージダや姉アンナらの献身的な看護(彼女らは近くに家を借りてミハイルを毎日訪問した)の甲斐もあり、徐々に回復していきます。

打ち倒されたデーモン

打ち倒されたデーモン

1901年 トレチャコフ美術館

この作品は、再びデーモンを主題としたものです。この作品のデーモンは座っている姿ではなく、打ち倒された姿で描かれています。デーモンは砂漠の地面に倒れ伏し、その顔は絶望と苦痛とを表しています。彼はこの作品で精神的なメッセージを伝えようとしましたが、その内容は明確ではありませんでした。彼は発表後にもデーモンの顔を繰り返し描き直しましたが、その都度デーモンの表情は暗くなっていきました。彼はこの作品が原因で精神的発作を起こし、精神科に入院することになりました。

六翼のセラフィム (アズラエル)

六翼のセラフィム (アズラエル)

1904年 ロシア美術館

セラフィムはヘブライ語で「熾」、「燃える」、「燃やす」を意味します。彼女は人間の形をしており6枚の翼を持っています。頭上には王冠を戴いて、手に刃物を持つ姿には冷酷さと厳しさが感じられます。顔は黒い髪で縁取られ、大きく見開かれた大きな瞳の鋭い氷のような視線で見つめています。セラフィムは死の天使で、永遠に続くものは何もないことを暗示しています。

真珠の貝殻

真珠の貝殻

1904年 トレチャコフ美術館

ヴルーベリの最後の作品の 1 つで、人生の終わりに向けて彼を悩ませた精神疾患の発作の合間に彼によって描かれました。彼は躁状態と落胆を繰り返す症状で精神病院で治療を受けていましたが、この絵は短期間の寛解の瞬間に彼によって制作されました。この絵のインスピレーションとなったのは、旧友が贈り物として贈った真珠の貝でした。ヴルーベリは、絵の具で螺鈿の虹色をキャンバス上に表現する方法を模索し、スケッチを繰り返しました。

晩年

1906年の初め、ヴルーベリは「進行性麻痺」のために視力が急激に低下し始め制作を断念します。妻に宛てた手紙の中で、「字も読めず、絵も描けない」と訴えています。視力を失ってからは、ほぼ常に幻覚を見ており、しばしば自分の空想を他人に語るようになりました。
1910年2月、彼は服を脱いで何時間も窓際に立ち、自らの意思で肺炎を引き起こします。これが悪化し肺結核を患い、4月にサンクトペテルブルクで死去しました。

ヴルーベリの影響

ヴルーベリはロシア画壇に大きな影響を与えた画家です。彼は自分のスタイルやテーマを貫き、常に新しいものを生み出そうとしました。彼は色彩や形態、テクスチャーなどの表現方法に独自の工夫を凝らし、その作品は豊かで神秘的で魅力的でした。彼はデーモンや預言者などの超自然的な存在を描き、その内面の葛藤や苦悩を表現しました。彼は自分の精神状態や感情を作品に投影し、その作品は彼の人生と共に変化していきました。

彼の作品は、後のロシアの画家たちに多大な影響を与えました。特に、象徴主義や表現主義の画家たちが彼の作品から刺激を受けました。ワシリー・カンディンスキーはヴルーベリの色彩感覚や形態感覚に感銘を受け、抽象絵画へと進んでいきました。また、マルク・シャガールはヴルーベリの神秘的なイメージやファンタジーに影響を受け、夢幻的な作品を制作しました。さらに、パブロ・ピカソもヴルーベリの作品を高く評価し、キュビスムの発展に貢献しました。


ミハイル・ヴルーベリは、19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの画家です。彼は装飾や舞台美術も含め様々なジャンルで才能を発揮しましたが、特にデーモンを主題とした作品で知られています。彼は自分の想像力でデーモンの姿を創造し、その内面の葛藤や苦悩を表現しました。彼は色彩や形態、テクスチャーなどの表現方法に独自の工夫を凝らし、その作品は豊かで神秘的で魅力的でした。彼は自分の精神状態や感情を作品に投影し、その作品は彼の人生と共に変化していきました。彼はロシア画壇に大きな影響を与えた画家であり、後世の多くの画家たちに刺激を与えました。

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