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ジャポニスムと印象派

2023.06.27 印象派の芸術家たち
ジャポニスムと印象派

日本の美術がヨーロッパに渡り、19世紀後半に大きな影響を与えた現象をジャポニスムと呼びます。特に浮世絵は、印象派の画家たちに新しい視点や表現法をもたらしました。この記事では、ジャポニスムの流行と、それが印象派の芸術家たちにどのように影響を与えたかについて解説します。

ジャポニスムの流行

日本は1854年にアメリカとの日米和親条約で開国し、1868年に明治維新が起こりました。これにより、日本の美術や工芸品がヨーロッパに輸出されるようになりました。特に1867年のパリ万国博覧会では、日本館が出展され、日本の陶器や置物、屏風などが注目を集めました。

ヨーロッパの美術界では、浮世絵が大きな人気を博しました。浮世絵は木版画で量産されていたため、安価で入手しやすかったのです。浮世絵は、江戸時代の庶民の生活や風俗を描いたもので、役者絵や美人画、風景画など様々なジャンルがありました。浮世絵は、西洋絵画とは異なる構図や色彩、線描法などを持っており、西洋の画家たちに新鮮な印象を与えました。

ジャポニスムという言葉は、1872年にフランスの美術評論家フィリップ・ビュルティが使ったのが最初とされています3。ビュルティは、日本美術が西洋美術に与える影響を「ジャポニスム」と呼んで解説しました。その後もジャポニスムはヨーロッパで広まり、フランスだけでなくイギリスやドイツなどでも日本趣味が流行しました。

印象派とジャポニスム

印象派の画家たちは、浮世絵から様々な刺激を受けました。

  • テーマ浮世絵は歴史や宗教といった高尚な主題ではなく、日常生活や風景といった身近な主題を描いていました。これは印象派の画家たちも同じくらい興味を持っていたことでした。彼らは浮世絵から自由な主題選びの可能性を見出しました。

  • 連続性浮世絵は一枚の絵だけでなく、連作やシリーズとして作られることが多かったです。これは印象派の画家たちにも影響を与えました。彼らは同じ主題や場所を異なる時間や季節、光の状態で描くことで、変化や動きを表現しました。例えば、モネはルーアン大聖堂や干し草の山などを何度も描いています。

  • 構図浮世絵は西洋絵画とは異なる構図を持っていました。例えば、斜めの線や対角線を多用したり、画面の一部を切り取ったり、空間の奥行きを無視したりするなどです。これらの構図は印象派の画家たちにも刺激を与えました。彼らは浮世絵から写真的な切り取り方や動的な効果を学びました。例えば、ドガはバレエダンサーの足や頭を切り取って描いたり、ルノワールは斜めの線で画面を分割したりしています。

  • 色彩浮世絵は鮮やかで明るい色彩を使っていました。特に赤や青などの原色が多く使われていました。これは印象派の画家たちにも影響を与えました。彼らは浮世絵から色彩の効果やコントラストを学びました。例えば、モネは赤と緑、青とオレンジなどの補色を使って光と影を表現しました。

ジャポニスムに影響された印象派の画家たち

ジャポニスムに影響された印象派の画家たちは多くいますが、ここでは代表的な画家と作品をいくつか紹介します。

エミール・ゾラの肖像

エミール・ゾラの肖像

1868年 オルセー美術館

エドゥアール・マネ:背景には、大鳴門灘右エ門(初代)の相撲絵が描かれており、作者は歌川国明(2代目)または初代歌川国明と見られています。この浮世絵の存在は、当時のパリでの日本美術への関心を反映しており、マネ自身も日本美術に深い関心を持っていた事が見て取れます。

うちわを持つジャンヌ

うちわを持つジャンヌ

1873年 アシュモレアン博物館

カミーユ・ピサロ:ジャンヌが日本のうちわを手に持っています。うちわは、日本の夏の風物詩であり、その存在自体が日本文化へのオマージュと言えます。また、背景の風景は、浮世絵のような平面的でパターン化された表現が特徴的で、これは西洋の伝統的な遠近法に基づく表現とは一線を画しています。

ハンプトン・コートの橋の下

ハンプトン・コートの橋の下

1874年 ヴィンタートゥール美術館

アルフレッド・シスレー:橋の下から見た風景が描かれており、その視点は浮世絵の影響を感じさせます。また、色彩の使い方も、浮世絵の鮮やかさを思わせるものがあります。彼の作品には明るい色彩や絶えず変化する照明効果が施されており、最大の特徴は彼の作品に実線と仰角があることです。

ラ・ジャポネーズ

ラ・ジャポネーズ

1876年 ボストン美術館

クロード・モネ:モネが自分の妻カミーユに日本の着物を着せて描いた作品で、当時ヨーロッパで流行していたジャポニスムの影響を受けた作品としてとても有名です。その衣装と背景の鮮やかな色彩は、浮世絵の影響を明確に示しています。背景にはうちわが描かれていて、カミーユの右側に配置されているうちわには、着物を着た日本女性らしき姿が描かれています。

ヨーロッパ橋

ヨーロッパ橋

1876年 プティ・パレ美術館

ギュスターヴ・カイユボット:パリの新しい都市景観である鉄橋を描いています。色彩や構図、線の表現などは、浮世絵の影響を受けており、特に葛飾北斎の『富嶽三十六景』に近いものがあります。カイユボットは、印象派とジャポニスムを取り入れた都市風景画を得意としました。

うちわを持つ少女

うちわを持つ少女

1881年クラーク美術館

ピエール=オーギュスト・ルノワール:うちわを持った少女の姿が描かれています。色彩や構図、線の表現などは、浮世絵の影響を受けており、特に喜多川歌麿や東洲斎写楽の美人画に近いものがあります。ルノワールは、印象派とジャポニスムを取り入れた人物画や風俗画を得意としました。

タンギー爺さん

タンギー爺さん

1887年 ロダン美術館

ゴッホがパリで出会った画材屋のタンギー爺さんを描いたものです。背景には浮世絵が飾られており、ゴッホが日本美術に強い関心を持っていたことがわかります。ゴッホは浮世絵から色彩や構図、線の表現などを学び、自分の作風に取り入れました。この絵は、ゴッホが日本美術から影響を受けた印象派の代表作の一つと言えます。

朝、アンティーブ出身のアルプマリティーム

朝、アンティーブ出身のアルプマリティーム

1890 オーストラリア国立美術館

ジョン・ピーター・ラッセル:フランス南部のアンティーブで描いたものです。ラッセルはパリで印象派の画家たちと交流し、特にモネと親しくなりました。この絵では、モネから学んだ光と色彩の表現を見ることができます。また、水面に映る山や船の姿は、浮世絵の影響を受けた平面的な構図になっています。ラッセルは、印象派とジャポニスムを融合させた独自の風景画を描きました。

フェリックス・フェネオンの肖像画

フェリックス・フェネオンの肖像画

1890年 ニューヨーク近代美術館

ポール・シニャック:シニャックが友人であり美術評論家でもあったフェリックス・フェネオンの肖像を描いています。背景には、フェネオンが愛好していたジャポニスムの要素が取り入れられており、浮世絵のような構図や色彩、線の表現が見られます。

手紙

手紙

1890 - 1891年 シカゴ美術館

メアリー・カサット:手紙を読む女性の姿が描かれています。色彩や構図、線の表現などは、浮世絵の影響を受けており、特に喜多川歌麿の美人画に近いものがあります。カサットは、印象派とジャポニスムを取り入れた女性画を得意としました。

キャバレーのアリスティード・ブリュアン

キャバレーのアリスティード・ブリュアン

1893年 ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック:有名な歌手であったアリスティード・ブリュアンの姿が描かれています。色彩や構図、線の表現などは、浮世絵の影響を受けており、特に歌川国芳の役者絵に近いものがあります。ロートレックは、印象派とジャポニスムを取り入れたポスターや版画を得意としました。

踊り子たち、ピンクと緑

踊り子たち、ピンクと緑

1894年 吉野石膏株式会社

エドガー・ドガ:ドガも日本美術に興味を持っており、自宅に多くの浮世絵を持っていました。この作品は舞台裏で待機するバレエダンサーたちの姿が描かれています。色彩や構図、線の表現などは、浮世絵の影響を受けており、特に葛飾北斎や歌川広重の風景画に近いものがあります。ドガは、印象派とジャポニスムを取り入れた人物画や風俗画を得意としました。

日没

日没

1898年 フランス国立図書館

アンリ・リヴィエール:「36景」シリーズの一つです。このシリーズは、葛飾北斎の「富嶽三十六景」に触発されて、パリやその周辺の風景を36枚の木版画で表現したものです。この絵では、日没時のセーヌ川沿いの情景が描かれています。色彩や構図、線の使い方などは北斎の影響を強く受けており、西洋と東洋の美的感覚が融合した作品になっています。

まとめ

ジャポニスムと印象派の芸術は、19世紀後半にヨーロッパで起こった美術史上の重要な現象です。日本美術は印象派の画家たちに新しい視点や表現法をもたらしました。彼らは浮世絵から色彩や構図、空間などを学びました。また、日常生活や風景といった身近な主題を描くことで、西洋絵画とは異なる自由な芸術を追求しました。ジャポニスムと印象派の芸術は、現代の芸術にも多くの影響を与えています。

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