ジョルジュ・スーラ:印象派から点描法へ
2023.06.23 印象派の芸術家たち
19世紀のフランスの画家ジョルジュ・スーラ(1859-1891)は、印象派の画家たちが用いた「筆触分割」の技法をさらに発展させ、光学的理論に基づいた「点描」という独自の画法を開発しました。彼はその画法で美しい風景や人物を描き出し、新印象派と呼ばれる芸術運動の先駆者となりました。しかし、彼は31歳という若さでこの世を去り、その短い生涯にわずか6点の大作と数多くの素描や油彩下絵を残しました。この記事では、スーラの生涯と代表作を紹介し、彼がどのように印象派から影響を受け、そしてどのように印象派を超えていったかを探ります。
生い立ち

スーラは1859年12月2日、パリの裕福な中産階級の家庭に生まれました。父親は法律関係の仕事をしていましたが、後に不動産に投機して富を築きました。母親はパリ出身でした。スーラには兄と姉がいました。父親はル・ランシーに住み、母親と子供たちは週に一度マゼンタ大通りを訪れました。
スーラは最初にマゼンタ通りにある自宅近くの彫刻図画私立学校で芸術を学びました。この学校は彫刻家のジャスティン・ルキエンが運営していました。1878年、スーラはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学しました。ここでは古典的な美術教育を受けました。古代ローマの彫刻や巨匠絵画からデッサンを描いたり、色彩やコントラストの研究を行ったりしました。しかし、1879年11月、兵役のために美術学校を離れることになりました。
パリと印象派
ブレスト軍事学校で1年間過ごした後、1880年11月にパリに戻ったスーラは友人のアマン・ジャンとアトリエを共有し、シャブロル通り6番地にアパートを借りました。この時期、スーラは印象派の画家たちの作品に興味を持ち始めました。彼は、ルーヴル美術館やパリ市立美術館で展示されていた印象派の作品を見て、その色彩や光の表現に感銘を受けました。また、印象派の画家たちが集まっていたカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーニュで彼らと交流する機会も得ました。
スーラはパリで画家として活動を始めました。最初はコンテクレヨン(黒鉛や木炭などで描くデッサン)で作品を制作し、サロンに出品して入選しました。しかし、次第に油彩画に興味を持ち始め、印象派の影響を受けて明るい色彩や自然光を取り入れるようになりました。スーラは、印象派の画家たちから影響を受けつつも、彼らの技法に満足せず、自分なりの方法を探求し始めました。彼は、色彩や光学に関する科学的な書籍や雑誌を読み漁り、色彩の理論や実験に没頭しました。彼は、色彩は光の分解であり、色彩の混合は視覚的な効果であるという考えに基づいて、点描法という技法を開発しました。点描法とは、色彩を小さな点で表現することで、視覚的に混合された色彩効果を生み出す技法です。スーラは、この技法を用いて光や色彩の変化を精密に描き出しました。
1883年から1884年にかけて制作した『アニエールの水浴』はその傾向が顕著な作品です。この作品はセーヌ川で水浴を楽しむ労働者階級の人々を描いたもので、部分的に点描に近い画法が見られますが、人物の肌などは伝統的な技法で描かれています。この作品はサロンに落選しましたが、同年開催されたアンデパンダン展(独立芸術家協会展)に出品されました。
点描法の完成
スーラはこの作品の制作中に、光学的理論や色彩理論に関心を持ち始めました。彼は色のコントラストや混色の効果を研究し、異なる色の小さな点を隣り合わせに置くことで、遠くから見たときにその色が混ざって見えるようにするという画法を考案しました。これが「点描」と呼ばれる技法です。スーラはこの技法で生涯最大の大作で代表作でもある『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を制作しました。この作品は1884年から1886年にかけて制作され、1886年の第8回印象派展(最後の印象派展)に出品されて話題となりました。「新印象派」という名称は、この作品を見た批評家フェリックス・フェネオンが同年発表した雑誌記事の中で最初に使ったものです。
スーラは『グランド・ジャット島の日曜日の午後』以降も点描技法を用いて作品を制作し続けました。彼は『ポーズする女たち』、『サーカスの客寄せ』などの比較的大きな作品を残しました。
晩年
スーラは、1889年にマドレーヌ・ヌブールという女性と同棲し始めました。彼女は元モデルであり、スーラとは一人息子をもうけましたが、彼は家族を公にすることはありませんでした。彼は自分の作品に没頭し、新印象派の画家たちと交流を続けました。彼は『シャユ踊り』、『サーカス』などの作品を制作しましたが、完成させることができませんでした。
1891年3月29日、スーラは急性脳炎で亡くなりました。彼は31歳でした。彼の死は新印象派の画家たちに衝撃を与えました。彼らは彼の葬儀に参列し、彼の作品を称賛しました。彼の死後、マドレーヌは彼が残した作品を保管し、新印象派の画家たちと連絡を取り続けました。しかし、彼女も1895年に亡くなりました。スーラの息子は孤児院に預けられましたが、1908年に結核で亡くなりました。
スーラの作品は、彼の死後も多くの人々に見られることになりました。1892年にパリで開催されたスーラ追悼展では、約150点の作品が展示されました。また、1894年にニューヨークで開催されたアメリカ初の新印象派展では、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』が注目を集めました。スーラの作品は、後世の芸術家たちに大きな影響を与えました。特にポール・シニャックやアンリ・エドモン・クロスなどの新印象派の画家たちや、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどの立体派の画家たちがスーラから学びました。
スーラの作品

アニエールの水浴
1883-1884年 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)彼が青年期に制作した2つの大作の1つで、パリ近郊の穏やかな川辺の風景を描いた作品です。孤立した人々とその衣服が美しく構成され、豊かな色彩理論と複雑な筆技術によって作品には静謐さが与えられています。スーラは、焼けつくような夏の日の熱を表現するために様々な手法を使用し、結果として視覚的に揺らぎを感じさせる作品が生まれました。人物たちは、環境に溶け込んでおり、彼らの視線やポーズはリズム的な一体感を作り出しています。また、スーラはこの作品でバライエという彼が開発した筆の技術を用いています。

グランド・ジャット島の日曜日の午後
1884 - 1886年 シカゴ美術館スーラの代表作であり、点描技法の傑作でもあるこの作品は、セーヌ川に浮かぶ中州グランド・ジャット島で過ごす人々の風景を描いたものです。画面には50人ほどの人物と8匹の動物が描かれていますが、それぞれが個別に存在し、互いに関係を持たないように見えます。スーラはこの作品の制作に2年を費やし、多くのデッサンや油彩下絵を制作しました。色彩は明るく鮮やかでありながら、同時に落ち着いた印象を与えます。点描技法によって色が混ざって見える効果は、遠くから見るとより顕著になります。この作品は印象派展に出品されたときに大きな反響を呼び、新印象派という芸術運動の始まりを告げました。

ポール・アン・ベッサンの外港
1888年 オルセー美術館1888年の夏に北フランスの港町で描かれました。丘の上から見下ろす視点から、崖と港の複雑な景色が描かれています。桟橋には漁業用の上屋と、背後の漁村の家々、そして先端には帆を広げたヨットが描かれています。人物はわずかで、賑わいは描かれておらず、穏やかな印象を与えます。色彩は青や緑が多く使われており、海や空の雰囲気を表現しています。点描技法は細かく緻密に用いられており、光と影のコントラストや水面の反射などを表現しています。スーラはこの作品で、自然の風景を点描技法でどのように表現できるかを探求しました。

エッフェル塔
1889年 サンフランシスコ美術館スーラの代表的なポスト印象派スタイルであり、小さく精密な点や筆触を使用して、エッフェル塔の夢見るような表現を描き出しました。スーラは点描法を開発し、視覚的にこれらの小さな点をより定義されたイメージにぼかすことで視覚を誘導しました。この技術は、初めて評論家たちに冷笑されましたが、今では世界中で尊敬されています。

シャユ踊り
1889 - 1890年 クレラー・ミュラー美術館ネオ印象派のスタイルで描かれ、1890年のサロン・デ・アーティスト・アンデパンダンで初めて展示されました。スーラはこの作品で分割主義スタイルを採用し、点描法を用いて色を表現しました。また、シャユ踊りは、視覚的に混ざり合うように見える色の印象を作り出すため、観客の目に隣り合った小さな色の点を並べることで光と影の調和を得ました。

サーカス
1891年 オルセー美術館サーカスをテーマとした作品群の一つで、女性アーティストが馬上で演じる様子を描いています。スーラは新印象派の分割主義スタイル、特に点描法を活用し、白と原色を主体に作品を構成しました。社会階級の違いを表す観客と、動きを表現するアーティストが対照的に描かれています。初展示時は未完成で、青い線のグリッドと白い地面が見えていました。
スーラの影響
スーラは31歳という若さで亡くなりましたが、彼の画法や理論は後の芸術家たちに大きな影響を与えました。彼の友人であったポール・シャニックやカミーユ・ピサロは、スーラの点描技法を継承し、新印象派と呼ばれる芸術運動を展開しました。また、フィンセント・ファン・ゴッホやポール・ゴーギャン、アンリ・マティスなども、スーラの色彩理論や点描技法に影響を受けて自らの作風を確立しました。さらに、20世紀に入ってからは、ピカソやブラックなどのキュビズムの画家たちも、スーラの形や空間に対する研究に注目し、それを参考にして自らの作品を制作しました。スーラは印象派から始まった光と色の探求をさらに発展させ、近代絵画の歴史に大きな足跡を残しました。
まとめ
この記事では、印象派の芸術家ジョルジュ・スーラについて紹介しました。スーラは光学的理論に基づいた点描という独自の画法を開発し、美しい風景や人物を描き出しました。彼はその画法で『グランド・ジャット島の日曜日の午後』などの傑作を残しましたが、31歳で亡くなりました。しかし、彼の画法や理論は後の芸術家たちに大きな影響を与え、新印象派と呼ばれる芸術運動の先駆者となりました。スーラは印象派から影響を受けながらも、印象派を超えていった画家でした。