印象派の影響:現代への遺産
2023.06.28 印象派の芸術家たち
印象派は、19世紀後半のフランスで誕生した画期的な芸術運動です。クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガなどの画家たちは、アカデミーの規範にとらわれず、自然の光や色彩を捉えるために戸外で制作し、独自の筆触や構図で絵画の可能性を拡げました。彼らの作品は当初は批判されましたが、やがて多くの人々に受け入れられ、現代美術にも大きな影響を与えました。
印象派は、色彩や光の表現、筆触や平面性、動きや瞬間性など、絵画の造形要素を革新的に扱いました。また、日常的な風景や人物を描くことで、観る者に新たな視覚的経験を提供しました。これらの特徴は、20世紀以降のさまざまな芸術家たちに引き継がれ、発展してきました。
印象派の画家たちの作風は多様でしたが、彼らは当時の人々から一団として見なされました。彼らの作品は未完成であり、スケッチのような印象を与えるため、保守的な評論家たちからは批判されましたが、より進歩的な評論家たちは現代の生活の描写としてその新しさを称賛しました。
20世紀芸術に及ぼした影響
ポスト印象派と印象派
ポスト印象派は、印象派からさらに発展した芸術運動です。フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌなどの画家たちは、印象派の色彩や光の表現を受け継ぎながら、それぞれ独自のスタイルや主題を追求しました。彼らは色彩や形態を変形したり、筆触や構図を強調したりすることで、感情や個性や思想を表現しました。ポスト印象派の代表作としては、ゴッホの『ひまわり』や『星月夜』、ゴーギャンの『タヒチの女たち』や『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』、セザンヌの『聖ヴィクトワール山』や『カード遊びする人々』などが挙げられます。
ポスト印象派の画家たちは、印象派から学んだ技法や感性を用いて、自分たちの時代や社会に対応した作品を制作しています。彼らは印象派と同じように戸外で制作することもありましたが、その目的は自然を写実的に描くことではなく、自分たちの内面を表現することでした。彼らは色彩や形態を自由に変化させることで、自分たちの感覚や想像力を絵画に反映させました。彼らは印象派から受け継いだ色彩感覚や光の効果を発展させることで、絵画に新たな表現力をもたらしました。
新印象派と印象派
新印象派は、印象派から発展した芸術運動です。ジョルジュ・スーラやポール・シニャックなどの画家たちは、色彩理論や光学的効果に基づいて点描法や分割主義と呼ばれる技法を開発しました。彼らは小さく純粋な色彩の点を隣り合わせに置くことで、観る者の目に混色させる効果を狙いました。
彼らは小さく純粋な色彩の点を隣り合わせに置くことで、観る者の目に混色させる効果を狙いました。この技法は、印象派の色彩表現を科学的に発展させたものであり、光や空気の揺らぎをより鮮やかに表現しました。新印象派の代表作としては、スーラの『グランド・ジャット島の日曜日』やシニャックの『サン=ブリユ=シュル=メールの港』などが挙げられます。
象徴主義と印象派

接吻
1907 - 1908年 ベルヴェデーレ宮殿グスタフ・クリムト:クリムト自身と恋人エミーリエ・フレーゲがモデルとされる。1908年の総合芸術展「クンストシャウ」(ウィーン)で大好評を博し、展覧会終了と同時にオーストリア政府に買い上げられた、クリムトの代表作のひとつ。
象徴主義は、印象派の後の19世紀末にヨーロッパで起こった美術運動です。象徴主義の画家たちは、印象派が重視した光と色彩よりも、目に見えない世界や概念を表現することに重点を置きました。象徴主義の絵画は、しばしば神話や夢、幻想をモチーフに描かれ、非現実的な色彩や形で表現されます
象徴主義の画家グスタフ・クリムトの作品は、印象派の影響を受けながらも、独自の象徴主義的な要素を含んでいます。彼の作品『接吻』は、印象派の技法を用いつつも、神秘的で非現実的な雰囲気を醸し出しています。鮮やかな金色の背景や図像的な表現は、象徴主義の特徴を示しています。
また、エドゥアール・ヴュイヤールも象徴主義の代表的な画家の一人です。彼の作品『海辺の幻想』は、印象派の影響を受けながらも、夢幻的な雰囲気を持っています。光と色彩の効果的な使用や、非現実的なシーンの描写は、象徴主義の特徴を示しています。
フォーヴィスムと印象派

赤のハーモニー
1908年 エルミタージュ美術館アンリ・マティス:ロシアの大コレクターのセルゲイ・シチューキンの依頼で制作した装飾パネルとして制作されました。はじめは赤ではなく緑の部屋でしたが、シチューキンの要望で青色に塗りつぶされて「青いハーモニー」というタイトルになりました。しかし、そのできに対しマティスは不満だったため、最終的にはマティスが好きな赤色で塗りつぶし赤のハーモニーとなりました。
フォーヴィスム(野獣派)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで起こった美術運動です。フォーヴィスムの画家たちは、従来の絵画の様式を破り、鮮やかな色彩と大胆な筆致で絵画を描きました。フォーヴィスムの画家たちは、より鮮やかで大胆な色彩を使用することや画家の内面の世界を描くことに重点を置きました。
フォーヴィスムは、印象派の影響を受けて生まれた美術運動です。フォーヴィスムの画家たちは、印象派の画家たちから、光と色彩をより強く表現しています。アンリ・マティスはフォーヴィスムの代表的な画家の一人です。彼の作品『赤のハーモニー』は、鮮やかな色彩と大胆な筆致を特徴としています。印象派の影響を受けつつも、さらに色彩の自由さや形態の簡略化が見られます。これによって、印象派の表現を更に進化させた新たな視覚言語が生まれました。
アルフォンス・ミュシャもフォーヴィスムの影響を受けた画家の一人です。彼の作品は、鮮やかな色彩と装飾的な線が特徴であり、印象派の色彩表現を更に強化しています。ミュシャの作品はポスターや装飾画として広く知られており、フォーヴィスムの美学の一部となっています。
表現主義と印象派

叫び
1893年 オスロ国立美術館エドヴァルド・ムンク:極度にデフォルメされた独特のタッチで描かれた人物、血のように赤く染まったフィヨルドの夕景と不気味な形、赤い空に対比した暗い背景、遠近法を強調した秀逸な構図の作品です。ムンクがこの絵を発表した際、当時の評論家たちに酷評されましたが、後々、高い評価を受けました。
表現主義は、1905年から1920年にかけてドイツで起こった美術運動です。表現主義の画家たちは、従来の写実主義を否定し、画家の内面の感情や情緒を表現することに重点を置きました。表現主義の画家たちは、印象派の画家たちが光と色彩に注目したことに影響を受け、画家の内面の感情を、色彩や形態を自由に使って表現するようになりました。
エドヴァルト・ムンクは表現主義の代表的な画家の一人です。彼の作品『叫び』は、印象派の影響を受けつつも、感情の激しさや内面の苦悩を色彩や形態を駆使して表現しています。この作品は表現主義の象徴とされ、印象派の視覚的なアプローチを感情的な表現に応用した例として注目されています。
また、エゴン・シーレやエルンスト・キルヒナーも表現主義の画家として知られています。彼らの作品は印象派の影響を受けながらも、さらに形態の歪みや色彩の劇的な使用が見られます。これによって、印象派の視覚的なアプローチを更に拡張し、感情や内面の複雑さを表現する新たな表現主義のスタイルが生まれました。
キュビスムと印象派

アビニヨンの娘たち
1907年 ニューヨーク近代美術館パブロ・ピカソ:バルセロナのアビニョ通りの売春婦たちを描いた作品です。ピカソは伝統的なヨーロッパ絵画から脱却し、遠近法などを用いた写実的な表現ではなく、対象物をさまざまな視点から再構成する「キュビスム」の起点とされています。
キュビスムは、20世紀初頭にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどの画家たちによって創始された芸術運動です。キュビスムの画家たちは、対象物を幾何学的な形に分解し、それらを異なる視点から見たかのように組み合わせることで、絵画に多面的な構造を与えました。彼らは色彩や光の効果を抑え、形態や空間の関係に重点を置きました。キュビスムの代表作としては、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』や『ゲルニカ』、ブラックの『ヴィオロンと水差し』や『マンドリン奏者』などが挙げられます。
キュビスムの画家たちもまた、印象派から影響を受けました。特にセザンヌは、印象派から離れて色彩や形態を単純化し、絵画に立体感や秩序を与えることを試みました。彼は対象物を円柱や球体や立方体などの基本的な形に還元することで、絵画に幾何学的な構造を与えました。彼はまた、色彩や筆触を変化させることで、空間の奥行きや遠近感を表現しました。これらの技法は、キュビスムの画家たちに大きな影響を与えました。彼らはセザンヌから学んだ色彩や形態の扱い方を発展させることで、絵画に新たな空間表現をもたらしました。
抽象表現主義と印象派
抽象表現主義は、第二次世界大戦後にアメリカで起こった芸術運動です。ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコなどの画家たちは、具象的な対象を描くのではなく、色彩や形態、筆触やリズムなどで感情や意識を表現しました。彼らは大きなキャンバスに自由に絵具を塗りつけたり、垂らしたりすることで、絵画と身体と空間との関係を探求しました。
抽象表現主義の画家たちは、印象派から多くの刺激を受けました。特に晩年のモネが描いた『睡蓮』シリーズは、色彩と光が渦巻くような画面であり、抽象的でありながら感覚的でありました。ニューヨーク近代美術館(MoMA)は1948年に『睡蓮』シリーズを購入し展示しましたが、これは抽象表現主義の台頭と重なりました。モネは抽象表現主義の先駆者として再評価されるようになりました。
現代絵画に残した遺産
印象派の画風と技法の影響
印象派の作品は、短く切れた筆触や純粋で混ざり合っていない色の使用、光の効果への重点が特徴的でした。従来の中立的な白やグレー、黒ではなく、印象派の画家たちは色彩を使って影やハイライトを表現しました。この見かけ上のカジュアルさは、美術界において新たな言語として広く受け入れられ、公式のサロンを含む展示会でも展示されるようになりました。
また、印象派の画家たちは、当時としては画期的な試みとして明るい色彩を使用しました。19世紀には、画家用の合成顔料の開発が進み、これまで使用されなかった鮮やかな青や緑、黄色などが利用できるようになりました。さらに、印象派の画家たちは従来の厚い黄金のニスを用いず、色彩の鮮やかさを強調しました。
これらの画風や技法は、現代においても詳細に研究され、多くの画家たちがそのスタイルに合う画風や技術を取り入れています。
印象派のテーマの影響
印象派の画家たちは、パリの郊外や田園地帯での余暇やボート、入浴施設などの場面をよく描きました。さらに、鉄道や工場などの近代化された風景も題材として取り上げられました。これらは産業化の進展を示すものであり、以前のバルビゾン派の画家たちには適切ではないと考えられていました。
特に、パリ市自体が印象派の作品において重要な題材となりました。1853年から1870年にかけて、ナポレオン3世の統治下でパリは改装され、広い大通り、公共の庭園、壮大な建物などが描かれました。また、印象派の画家たちは市の住民や社会階層の混在が見られる公共の場を描写しました。
印象派以前は芸術は宗教的な存在であったり高尚な存在でしたが、印象派の取り扱うテーマにより身近な存在となりました。現在でも印象派が扱ったテーマやその視点は引き継がれ、多様な芸術が生み出されています。
印象派の影響と現代の視覚文化
印象派は、美術史において重要な役割を果たし、現代美術の起爆剤となりました。その作品は美術の専門家から賞賛され、一般の人々にも楽しまれ、世界中の美術館で広く展示されています。さらに、印象派はさまざまな芸術運動の台頭と進化に影響を与えました。
印象派は美の認識を変え、現代の視覚文化にも大きな影響を与えました。その鮮やかな色彩と独特なスタイルは、従来の美術の基準を覆し、新しい表現の可能性を切り拓きました。印象派は、美と芸術の理解を進化させ、後の時代の芸術に多大な影響を与えたのです。
まとめ
印象派は西洋美術の歴史において重要な転換点でした。伝統的な描画のルールから離れ、代わりに一瞬の瞬間を捉えることを試みた画家たちが印象派の中心でした。彼らのアプローチは、光と色を使用して現れる前のシーンを正確に描写するのではなく、全体的な感情やムードを作り出すことでした。この新しいアートのアプローチは、一日の批評家たちからはよく受け入れられず、彼らは画家たちを『印象派』と呼び、真の芸術ではなく印象を描いていると非難しました。しかし、一般の人々はこの新しい絵画のスタイルを愛し、印象派は19世紀後半の最も人気のある芸術運動の一つとなりました。印象派の画家たちは、美術界に深い影響を与え、彼らの技法や美学はその後の多くの画家の作品に見ることができます。彼らは新たな近代美術の時代を切り開き、その遺産は今日も画家たちに影響を与えています。