ポール・セザンヌ:印象派から立体派への架け橋
2023.06.24 印象派の芸術家たち
ポール・セザンヌ(1839-1906)は、フランスの画家で、ポスト印象派と呼ばれる美術運動の代表的な人物です。彼は、印象派の画家たちと交流しながら、色彩や光の表現に興味を持ちましたが、やがて印象派を離れて自分だけの絵画様式を追求するようになりました。彼は、自然を円筒や球、円錐などの幾何学的な形に分解し、平面的で構成的な絵画を描きました。彼の作品は、キュビスムやフォーヴィスムなどの20世紀の美術に大きな影響を与えました。彼は「近代絵画の父」として高く評価されています。
生い立ち

セザンヌは、1839年1月19日に南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれました。父は銀行家で裕福でしたが、母は元使用人でした。セザンヌは中等学校でエミール・ゾラと親友になりました。ゾラは後に有名な小説家になりますが、当時はパリ出身で孤独でした。セザンヌは彼に話しかけて友情を深めました。二人は文学や芸術に興味を持ちました。
セザンヌは父の希望で法学部に通いましたが、絵画に夢中になりました。1859年から1861年まで市立素描学校でジョゼフ・ジベールに素描を学びました。1861年4月にパリに出て絵画の勉強をすることを決意しました。
画家としての出発
パリではルーヴル美術館で古典的な絵画を模写したり、アカデミー・シュイスでモネやルノワール、ピサロらと知り合ったりしました。この時期の作品は暗い色調でロマン主義的なものが多く、サロンに応募しましたが落選を繰り返しました。1869年には後に妻となるオルタンス・フィケと交際を始めました。彼女はセザンヌの作品に理解を示し、一人息子ポールを産みました。
1870年に普仏戦争が勃発すると、セザンヌは徴兵を逃れてオルタンスとともに南仏に逃れました。そこでピサロと再会し、彼から印象派の技法を学びました。1872年から1874年までピサロと共同制作を行い、明るい色彩や光の表現に傾倒しました。1874年と1877年には印象派展に出展しましたが、批評家や観衆からは酷評されました。
エクスでの隠遁生活
1879年頃から、セザンヌは故郷のエクスで制作することが多くなりました。印象派のグループから離れて独自の画風を追求するようになりました。彼は自然を観察し、色彩や形態の関係性を重視しました。彼は自然を円筒や球、円錐などの幾何学的な形に分解し、平面的で構成的な絵画を描きました。彼は「自然を円筒、球、円錐によって扱う」という言葉を残しています。
この時期の代表作は、『カード遊びをする人々』、『大水浴図』、『サント・ヴィクトワール山』などです。これらの作品では、人物や風景が色彩や形態の要素に還元されています。また、色彩や筆触の変化で空間や奥行きを表現しています。
この時期のセザンヌは公に認められることはありませんでしたが、若い画家や批評家の間では徐々に評価が高まっていきました。特に画商アンブロワーズ・ヴォラールはセザンヌの作品を買い取り、1895年にパリで個展を開催しました。この個展は成功し、セザンヌはパリでも知られるようになりました。
晩年
1900年以降、セザンヌは晩年までエクスで制作を続けました。若い画家たちが次々と彼のもとを訪れました。その中にはエミール・ベルナールやアンドレ・ドランなどがいました。彼らはセザンヌの作品から多くの刺激を受けました。
1906年10月22日(23日説もあり)、制作中に発病した肺炎で死亡しました。その後、1907年にサロン・ドートンヌで開催されたセザンヌの回顧展は後の世代に多大な影響を及ぼしました。この展覧会を訪れた画家としては、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、アンリ・マティスらが挙げられます。
セザンヌの作品

セザンヌ夫人の肖像
1885-1887年 フィラデルフィア美術館セザンヌの妻であったオルタンス・フィケはセザンヌが最も多く描いたモデルでした。表情はほとんどなく、静物のようにじっと座っています。セザンヌは人物を魅力的に描くことよりも、その「形」に興味がありました。セザンヌにとって表情の表現には興味が無かったことがよくわかります。

果物籠のある静物
1888-1890年 オルセー美術館セザンヌの力強い筆遣いと豊かな色調が見て取れます。特に、生命感を感じさせる鮮やかに描かれたフルーツが特徴的で、その周囲には瓶やナプキンが配置されています。籠やテーブルの角度の歪みが目立つことで、静物画の伝統的な構図を打ち破る意図が読み取れ、これはセザンヌの画風の一端を示すもので、物体の表現方法を再定義する試みと言えるでしょう。

サント・ヴィクトワール山
1889年 フィラデルフィア美術館サント・ヴィクトワール山は、1880年代から1900年代にかけてセザンヌが描いた一連の作品です。約60点の油彩画と数点の水彩画や素描があります。この作品では、エクスの近郊にあるサント・ヴィクトワール山を様々な角度や季節から描いています。セザンヌは、風景を色彩や形態の要素に還元し、平面的で構成的な絵画を描きました。彼は、山や木々を円筒や球などの幾何学的な形に分解し、色彩や筆触の変化で空間や奥行きを表現しました。

大水浴図
1889年 フィラデルフィア美術館大水浴図は、1898年から1905年にかけてセザンヌが描いた一連の作品です。4点の油彩画と数点の素描があります。この作品では、裸体の男女が水辺でくつろいでいる様子が描かれています。セザンヌは、人物や風景を色彩や形態の要素に還元し、平面的で構成的な絵画を描きました。彼は、人物を円筒や球などの幾何学的な形に分解し、色彩や筆触の変化で空間や奥行きを表現しました。

カード遊びをする人々
1890 - 1895年 オルセー美術館5点の油彩画と15点の素描があります。この作品では、農民や労働者がカード遊びに興じる様子が静かに描かれています。セザンヌは、人物の表情や動作を細かく描くのではなく、色彩や形態の関係で構成を作りました。彼は、人物を円筒や球などの幾何学的な形に分解し、平面的で構成的な絵画を描きました。この作品は、セザンヌの芸術の特徴である「自然を円筒、球、円錐によって扱う」という言葉を具体化したものと言えます。

天使像のある静物
1895年 コートールド・ギャラリー直線的に描かれた床やテーブルと曲線的に描かれたモチーフ(石膏像のキューピッド、果物、下半身の肖像)の対比が特徴的です。また、この作品では、空間が歪んで見えることが特徴的で、これはセザンヌが意図的に描いたもので、彼が視覚的な錯覚や空間のゆがみを楽しんでいたと考えられます。
セザンヌの影響
セザンヌは生前に公に認められることはほとんどありませんでしたが、死後にその芸術的な価値が高く評価されるようになりました。特に20世紀初頭の美術運動であるキュビスムやフォーヴィスムなどの画家たちは、セザンヌから多くの影響を受けました。彼らはセザンヌの作品から色彩や形態の関係性を学び、自分たちも自然を幾何学的な形に分解して描くことを試みました。また、セザンヌは平面的で構成的な絵画を描くことで、絵画が写実的なイメージではなく抽象的な表現であることを示しました。これは後の抽象絵画にも影響を与えました。
セザンヌは、「近代絵画の父」として高く評価されています。彼は印象派から出発しましたが、やがて自分の独自の画風を確立し、20世紀の美術に大きな影響を与えました。彼は自然を観察し、自分の感覚や感情を表現するために絵画を描きました。彼は自然の真実を捉えることを目指しましたが、写実的に描くことではなく、色彩や形態の関係で表現することを試みました。彼は自然を円筒や球、円錐などの幾何学的な形に分解し、平面的で構成的な絵画を描きました。彼の作品は、色彩や形態の要素に還元されています。
まとめ
ポール・セザンヌは、印象派から立体派への架け橋として重要な画家です。彼は印象派の画家たちと交流しながら、色彩や光の表現に興味を持ちましたが、やがて印象派を離れて自分だけの絵画様式を追求するようになりました。彼は自然を観察し、自分の感覚や感情を表現するために絵画を描きました。彼は自然の真実を捉えることを目指しましたが、写実的に描くことではなく、色彩や形態の関係で表現することを試みました。彼は自然を円筒や球、円錐などの幾何学的な形に分解し、平面的で構成的な絵画を描きました。彼の作品は、キュビスムやフォーヴィスムなどの20世紀の美術に大きな影響を与えました。彼は、「近代絵画の父」として高く評価されています。