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ルノワール:色彩と生活の喜び

2023.06.22 印象派の芸術家たち
ルノワール:色彩と生活の喜び

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)は、フランスの印象派を代表する画家です。彼は軽やかなタッチと鮮やかな色彩で、人々の日常生活や自然の美しさを描きました。特に女性や子供、花々などを愛らしく表現した作品で知られています。ルノワールは「幸福の画家」と称されるほど、明るく穏やかな画風で人々を魅了しました。

そんなルノワールはどのような人物で、どんな作品を残したのでしょうか?この記事では、時代ごとの代表作を交えながらルノワールの人生を紐解いていきます。時代背景と人生を知ることで、ルノワールの絵の魅力がより一層見えてくるでしょう。

生い立ち

ピエール=オーギュスト・ルノワール
ピエール=オーギュスト・ルノワール

ルノワールは1841年2月25日、フランス中部のリモージュという町で生まれました。リモージュは磁器製造で有名な町でした。ルノワールは7人兄弟の6番目でしたが、上の2人は早世しました。父レオナールは仕立屋、母マルグリットはお針子でした。

幼い頃から絵に興味を示していたルノワールは、13歳で磁器工場に見習いとして入りました。彼はすぐに一流の絵付け師として才能を認められました。仕事をしながら無料のデッサン教室に通い、1860年にはルーヴル美術館で模写する権利を得ました。
しかし、産業革命の影響で機械生産に移行し始めると、ルノワールの仕事は激減しました。海外宣教師の掛け軸の注文を受けたことで、ルノワールは絵画の道に進む決心をしました。

20歳になったルノワールは、シャルル・グレールの美術学校に入学します。そこで彼は、後に印象派の仲間となるアルフレッド・シスレークロード・モネと出会いました。
グレールの教えは伝統的で堅苦しいものでしたが、ルノワールは自分の感性を磨くために、自然の中でスケッチをしたり、ルーヴル美術館で古典画家の作品を研究したりしました。彼は特に18世紀のロココ派の画家たちに影響を受けました。彼らは優雅で華やかな人物や風景を描いており、ルノワールもそのような絵を目指しました。

印象派時代

1864年から1870年まで、ルノワールはサロンという公式展覧会に何度か出品しました。しかし、彼の作品は批評家や観客からあまり評価されませんでした。彼らはルノワールの色使いやタッチが不自然だと感じました。

その後、普仏戦争が勃発すると、ルノワールは徴兵され戦場に赴きました。 しかし、彼はすぐに病気になって除隊されました。

戦争が終わると、ルノワールは再び絵画に専念します。
1874年から1882年まで印象派展に参加しました。
印象派とは、当時の美術界で権威を持っていたサロンに対抗して、自分たちで展覧会を開いた画家たちのグループです。彼らは、室内ではなく屋外で風景や風俗を描きました。その一瞬の光や色を捉えるために、ラフな筆触や鮮やかな色彩を使いました。

1876年の第2回展に出品した『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は、彼の代表作となりました。この作品では、パリ郊外のダンスホールで楽しく踊る人々を描きました。画中の人物たちは、ルノワールの友人たちがモデルになっています。ルノワールは、光と影の効果や色彩の調和を巧みに表現しました。

しかし、印象派展は批評家や観客から酷評されました。また、経済的にも苦しかったルノワールは、サロンへの出品を再開しました。
1879年には、裕福な出版業者シャルパンティエ夫妻の肖像画『シャルパンティエ夫人と子供たち』がサロンに入選し、高く評価されました。この夫妻は、ルノワールの重要なパトロンとなりました。

晩年

1880年代に入ると、ルノワールは印象派から離れていきました。彼はより厳密な構成や形態を求めるようになり、古典的な画家たちの作品を再び研究しました。
彼はイタリアやアルジェリアなどの海外旅行も行い、新しい刺激を受けました。ルノワールはこの美術探求の旅を、約20年間に渡り続けていきます。

その中でも、1883年にイタリアで見たミケランジェロラファエロの作品に感銘を受けたルノワールは、風景画よりも人物画に力を入れるようになりました。
特に女性や子供の肖像画を多く描きました。彼は、女性の肌や髪の色を美しく表現することに熱心でした。彼の作品からは、彼が女性や子供に対する愛情や敬意を持っていたことが伝わってきます。印象派のスタイルから離れて、より古典的な形態や構成を追求し始めました。

1890年代に入ると、ルノワールは結婚し、3人の子供に恵まれました。彼は家庭の日常の幸せや子供たちの成長を多くの作品に残しました。また、彼は自分のアトリエで若い女性たちをモデルにして、裸婦画を描きました。1900年にパリ万国博覧会で個展を開き、高い評価を得ました。
しかし、この頃、ルノワールは関節リウマチという病気にかかりました。彼は手足の動きが制限され、痛みに苦しみました。それでも彼は絵筆を手放さず、筆を手首に巻き付けて絵を描き続け最後まで絵画を制作し続けました。

1919年12月3日、ルノワールは78歳で亡くなりました。彼は生涯に約6000点もの作品を残しました。
彼の作品は世界中の美術館やコレクションに収蔵されており、多くの人々に愛されています。

ルノワールの作品

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

1876 オルセー美術館

パリの有名なナイトスポットであるムーラン・ド・ラ・ギャレットでの夜の舞踏会を描いています。ルノワールの印象派のスタイルが際立つこの絵画では、色と光が豊かに利用されており、人々が踊り、会話し、楽しむ様子を生き生きと描き出しています。

シャルパンティエ夫人と子供たち

シャルパンティエ夫人と子供たち

1878 メトロポリタン美術館

当時のパリの上流社会の女性と子供たちの日常生活を描いています。シャルパンティエ夫人とその子供たちは、豊かな内装の部屋でのんびりと過ごしています。ルノワールは、細部まできめ細かに描き出し、人々の生活の美しさと暖かさを見事に捉えています。

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢

1880 ビュールレ・コレクション

印象派の絵画のうち、最も美しい肖像画の一枚とも称される作品です。1880年の夏に、パリ16区のユダヤ人銀行家であるカーン・ダンヴェール家の庭で描かれました。描かれている少女は、ベルギーのアントワープ出身のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵の長女イレーヌで、当時8歳でした。

雨傘

雨傘

1881-1886 ナショナル・ギャラリー

街角で雨に遭遇した一人の女性を描いています。女性は雨傘を巧みに使い、服を濡らさないようにしています。ルノワールは、雨の降る街並みと女性の姿を暖かな色彩で表現しており、その技術力が光っています。

ピアノの前の少女たち

ピアノの前の少女たち

1892 オルセー美術館

リュクサンブール美術館の依頼により、ピアノの前で遊んでいる2人の少女の作品を5枚描いています。彼は少女たちの無邪気さと楽しさを柔らかなタッチで描き出しており、その技術的な優れた描写は観る者を魅了します。

浴女たち

浴女たち

1918-1919オルセー美術館

ルノワールの晩年の作品で、複数の裸婦を描いたものです。彼の描く肉体は豊滿で、生命力に満ち溢れています。また、彼は色彩を鮮やかに用いて女性の美しさを強調しています。この作品は、彼の肖像画に対する深い理解と技術的な熟練さを示しています。

ルノワールの影響

ルノワールは印象派からポスト印象派へと移行する過程で、色彩や光、形態などについてさまざまな実験を行いました。彼は自分の感性に忠実でありながらも、時代の変化に対応していきました。彼は自然や人間を美しく描くことに情熱を注ぎました。

ルノワールの作品は、後世の画家たちにも大きな影響を与えました。パブロ・ピカソアンリ・マティスなどのキュビズムやフォーヴィスムの画家たちは、ルノワールの色彩感覚や形態表現から学びました。また、ポップアートやファッションなどの分野でも、ルノワールの作品はインスピレーションの源となりました。例えば、アンディ・ウォーホルロイ・リキテンスタインなどのポップアートの画家たちは、ルノワールの作品を模倣したり、パロディしたりしました。また、ココ・シャネルクリスチャン・ディオールなどのファッションデザイナーたちは、ルノワールの色彩や柄を服飾に取り入れました。

まとめ

ルノワールは、自分の芸術観を次のように語っています。

絵画は楽しくなければならない。絵画は人生の喜びを表現し、人々に希望を与えるものである。

ピエール=オーギュスト・ルノワール

ルノワールの作品からは、そのような思いが感じられます。彼は私たちに色彩と生活の喜びを教えてくれます。

ルノワールは、色彩と生活の喜びを描くことで、私たちに美しい世界を見せてくれました。彼の作品は現代にも通じる普遍的な魅力を持っています。ルノワールの絵を見るときは、彼の人生や時代を思い浮かべながら、彼の感性に触れてみてください。

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