教皇ユリウス2世の霊廟
2023.06.16 ミケランジェロこの記事には会員専用コンテンツが含まれます。ログインしてお読みください。

ミケランジェロの人生において最も長く苦労したプロジェクトが『教皇ユリウス2世の霊廟』でした。この霊廟に関するミケランジェロの制作過程とエピソード、そして彼が創り出した傑作彫刻「ラケル」「モーゼ」「レア」について紹介します。
ユリウス2世

ユリウス2世は、教皇としては珍しく戦争に積極的に参加し、イタリア半島の統一を目指した政治家でした。彼は自ら甲冑を着て戦場に赴き、敵対する諸侯や大国を打ち破りました。
その一方で、芸術にも深い関心を持ち、ローマにルネサンス芸術の最盛期をもたらしました。彼はミケランジェロやラファエロなどの優れた芸術家たちを庇護し、システィーナ礼拝堂天井画やサン・ピエトロ大聖堂建築などの名作を発注しました。
ミケランジェロは、ユリウス2世から多くの仕事を依頼されましたが、その過程で何度も衝突しました。
ミケランジェロは自分が彫刻家であることを主張し、絵画や建築など他の仕事から逃れようとしました。
しかし、教皇は彼の才能を高く評価し、自分の意思を押し通そうとしました。二人は互いに気性が激しく頑固であり、しばしば言い争いや喧嘩をしました。
霊廟の依頼と変遷
1505年、当時の教皇ユリウス2世は、自分の死後に納められる霊廟の制作をミケランジェロに依頼しました。この霊廟は、当初は40体の像を含む、単独で立つ三階構造の壮大なものとして計画されていましたが、教皇の気まぐれや予算の削減、他の芸術家たちの嫉妬や干渉などにより、度重なる中断や変更を経て、完成は1545年となりました。完成した霊廟は、墓は壁状となり、像も当初の予定より3分の1以下の数となったものでした。
このプロジェクトは、ミケランジェロにとって40年に及ぶ苦難と挑戦でした。彼は何度も教皇やその後継者たちと交渉し、契約を更新しました。彼は自分が彫刻家であることを主張し、絵画や建築など他の仕事から逃れようとしました。
しかし、教皇からシスティーナ礼拝堂天井画やサン・ピエトロ大聖堂建築などの依頼を受けざるを得なかったため、霊廟制作は遅々として進まず、彼は自分が果たせない約束をしたことに苦悩しました。
霊廟に飾られた傑作彫刻
しかし、その間にミケランジェロは、霊廟に関連する多くの傑作を創出しました。その中でも特に有名なものが、「ラケル」「モーゼ」「レア」と呼ばれる彫刻です。
これらは、教皇ユリウス2世の一族であるデッラ・ローヴェレ家がパトロンをするサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に置かれている霊廟に飾られています。



「ラケル」と「レア」は、旧約聖書に登場するヤコブの妻たちであり、教皇ユリウス2世の先祖とされています。「ラケル」は「思慮深い者」、「レア」は「働き者」という意味を持ちます。ミケランジェロは、「ラケル」を静かに瞑想する女性として、「レア」を活発に動く女性として表現しました。これらは、教皇ユリウス2世が追求した知恵と行動力を象徴しています。
「モーゼ」は、旧約聖書に登場するイスラエル人の指導者であり、十戒を授かった人物です。ミケランジェロは、「モーゼ」を荘厳で力強い姿として表現しました。彼は頭部に角をつけましたが、これは旧約聖書がラテン語訳された際に「光り輝く」という言葉が「角がある」という言葉と混同されたことに由来します。「モーゼ」は教皇ユリウス2世が自らに重ね合わせた人物であり、彼の権威と信仰心を表しています。
ミケランジェロの芸術への情熱
ミケランジェロは、霊廟の制作においても、彼の芸術への情熱と技術を発揮しました。彼は自ら大理石を選び、彫刻の原型を作りました。彼は自分の作品に対して非常に厳しく、満足できないものは破壊したり放棄したりしました。
例えば、「奴隷像」と呼ばれる一連の彫刻は、霊廟のために制作されたものですが、計画変更に伴って未完成のまま残されました。これらの彫刻は、大理石から解放されようとする人間の姿を表しており、ミケランジェロ自身の苦悩や願望を反映しているとも言われています。
ミケランジェロは、霊廟制作の過程で教皇やその後継者たちと対立したこともありました。特に有名なエピソードとして、教皇パウルス3世がシスティーナ礼拝堂最後の審判画を見て驚嘆した際に、ミケランジェロが「霊廟を完成させてくれればもっとすごいものが見られる」と言って教皇を怒らせたことがあります。また、教皇クレメンス7世が霊廟の計画を変更しようとした際には、「私は契約書ではなく大理石で仕事をする」と言って拒否したことがあります。
霊廟の評価と影響
ミケランジェロ作・教皇ユリウス2世の霊廟は、完成時には当初の計画から大きく変わってしまったものでしたが、それでもなお彫刻史上に残る傑作として評価されています。特に「モーゼ」は、ミケランジェロ自身も最高傑作だと認めた作品であり、その迫力と美しさは多くの人々を感動させてきました。
この彫刻は、後のバロック期の彫刻家たちにも大きな影響を与えました。例えば、ベルニーニは「モーゼ」を見て「神の手が触れた」と言ったと伝えられています。
ミケランジェロ作・教皇ユリウス2世の霊廟は、彼の人生と芸術の一部を物語る作品です。彼は教皇や時代の権力者に屈することなく、自分の信念と情熱を貫きました。
彼は自分の作品に対して厳しく、完璧を求めました。彼は自分の作品に対して愛情深く、生き生きとしたものにしました。彼は自分の作品を通して、教皇や人々にメッセージを伝えました。彼は自分の作品で、歴史に名を残しました。